元阪神の故横田慎太郎さんのお母さんのお話をもとに構成された本を読みました。
7月の訃報からもう5ヶ月近くになります。
阪神が日本一になったとき、ダッグアウトに横田のユニフォームが飾られていたり、岩崎がそれを持ってビールかけに参加したり。
同期の岩貞岩崎梅野の間では「横田と戦う」という思いも一緒だったようにさまざまな記事を読んでそう思います。
「横田のお母さんの手記を読んでみたい」そう思っていたので、この本が出ると知ったときにすぐ予約しました。
生前に横田自身が書いた「奇跡のバックホーム」とだいたいは同じような感じですが、(横田とお母さんは常に一緒でしたからね)、横田が再び脳腫瘍を発症したあとのことはこちらの本で知りました。
阪神の優勝パレードが行われた神戸は、横田が息を引き取った施設がある場所でもありました。
もしかしたら、選手たちに大きく手を振っていたかもね。
治療を終えて入った施設はホスピス。
ホスピスは最後を迎えるところです。
ホスピスでの生活はいつその時が来るかわからないながらも、とても穏やかなものだったようです。
1度目の危篤状態を乗り越えたあと、横田と親交のあったさまざまな人に連絡をとり、面会に来てもらったそうです。
横田と仲が良かった高山、北條、熊谷、横田引退後のセカンドキャリアを取材していたスポーツ紙の記者さんなど。
横田はもうほとんど目は見えてなく、話もできない状態。
でも夏の甲子園の鹿児島大会を気にしてたり、阪神に優勝して欲しい、と、たしかに話されたようです。
危篤状態を何度も乗り越え、そして7月18日の早朝に逝去。
身内が亡くなった後ってほんとにまわりは慌ただしいんですよね。
横田の場合は神戸から鹿児島へ移動の手はずなどで、ご家族はかなり消耗されたようです。
阪神がリーグ優勝した記念に発売されたDVDに、横田の追悼試合の映像もありました。
試合の翌日、ご家族は横田の足跡をたどるように横田が過ごした寮、ファームの試合などに足を運ばれました。
空港までの道のりをご家族は笑って話しながら帰られたそうです。
日本シリーズ終了後、同期の岩貞、岩崎、梅野。西武に移籍した陽川も入れて4人で鹿児島を訪れていました。
選手たちだけではなく、いろんな人の心の中にはいまも横田の元気な姿があるんだと思います。
帯に本文を抜粋した文章があるのですが、これだけでもかなりグッときます。